「いいえ、とんでもありません。……お許しいただけますか? ……ありがとうございます。ええ……はい、それでは」
静かに受話器を置いたレナードを、アレクは固唾を呑んで見つめていた。
屋敷を無断で飛び出してきたアレクをレナードはやさしく迎え入れ、なにくれとなく世話をしてくれた。
浴室で抱かれ、その後も抱きしめるようにして夕食の世話をしてもらい、さらに、両親への釈明の電話までしてくれる。
アレクが自分ですることはなにひとつなかった。
どうだったのだろう。怒られはしないだろうか。
アレクは眼鏡越しに目を大きく見開き、レナードをじっと見つめていた。怯えた、野リスのような目だった。
レナードが、アレクに穏やかに頷いてくれた。
「お許しがでたよ。夏季休暇の間、ずっとわたしと一緒に過ごしてかまわないそうだ」
「本当に!?」
アレクは表情を明るくする。肩からホッと力が抜けた。
よかった。両親が――特に、父親が――アレクの我が侭を許してくれるなんて、信じられない。
それもこれも、レナードがついていてくれるからだ。全部、レナードのおかげだ。
喜びを全身で表しているアレクに、レナードが幼い子供を見るように、目尻を和ませてくる。
頬を撫でられ、アレクはおずおずとレナードに身を寄せた。躊躇うようにそっと触れると、力強く抱き寄せてくれる。
「ありがとう、レナード」
「礼を言われることではないな。わたしのほうがアレクと一緒にいたいんだ」
軽く抱き上げられ、腿を跨ぐように、レナードの上に座らされる。
あらためて愛しげに抱きしめられ、アレクは頬を赤く染めた。甘やかな抱擁が、二人の新たな関係をアレクに感じさせる。
アレクはレナードのものだった。レナードのために、アレクは生まれてきたのだ。
この身も、心も、レナードのものだ。
レナードも、なんの取り柄もない厄介者のアレクを愛してくれる。
レナードだけが常に変わらず、アレクをいとしんでくれている。
「……レナード、ぁ」
レナードが軽い音を立てて、アレクの唇を啄んでくる。触れたり、そっと口唇を挟んだりしながら、少しずつ口づけが深まっていく。
――あぁ、どうしよう……また……。
口中に滑り込んだ舌に口腔を舐められ、アレクの頭がぼぅっと霞んでくる。
昼間に、それからさっきもレナードに抱かれたばかりなのに、レナードにキスをされるとまた身体が甘やかに蕩けていく。
自分はどこまでいやらしくなってしまったのだろう。
「……困ったな。歯止めが利かない」
レナードの囁きも、熱い。
まだもうひとつ、大事なことがあるのに――。
瑞樹に電話をかけないと。
忘れてはいないのに、レナードに触れられるとなにも考えられなくなる。
「……大丈夫。レナードの好きなだけ……してくれていいよ」
レナードの薄い菫色の瞳が今は欲望にけむり、紫がかった藍色に変わっている。
アレクを求める色だった。
「いけない子だ、アレク。明日はきっと、起き上がれないぞ」
「いいよ、そんなの。レナードがすることだったら……どんなことだって」
どんなことでも、アレクの喜びだった。
フワリと身体が浮き上がる。
アレクはレナードに抱き上げられた。寝室へと続く扉に運ばれる。
「欲しくて……欲しくてたまらない、アレク」
「レナード……大好き。レナードだけ……」
ベッドに下ろされると、アレクは歓喜の声を上げて、レナードにしがみついた。
レナードに愛されることが、アレクのすべてだった。
翌日、レナードの言葉どおりベッドから起き上がれなくなったアレクは、一日中、トロトロとまどろみながらレナードの寝室で過ごした。
目覚めると、レナードがなにくれとなく世話を焼いてくれる。喉が渇いてないかと、口移しに飲み物を与えられ、お腹が空いただろうと、子供のようにスプーンを口に運ばれる。
腰がすっかり萎えてしまっているアレクを洗面所まで運んでくれるのも、レナードだ。
「本当は全部手伝ってあげたいんだけどな」
そう言いながら、立ち上がれないアレクの代わりに下肢からパジャマのズボンと下着を脱がせて、終わるとまた洗面所に入ってきて、アレクに寝巻きを穿かせていく。
くすぐったい甘やかしと、時折悪戯するように触れてくる愛撫に、アレクは蕩けて、なにも考えられなくなってしまう。
そんな甘ったるい一日が終わって翌日になると、アレクはレナードに抱き上げられて、車に乗せられた。
「そろそろロンドンに戻らなくてはいけない。すまないな、アレク」
申し訳なさそうに言うレナードに、アレクは大丈夫と首を振る。たとえ仕事でレナードが昼間いなくても、ずっとレナードの住まいでレナードの帰りを待っていられるのだ。自分の屋敷で兄や使用人に嫌みを言われて過ごすことを思えば、ずっとずっと幸せだ。
「夢みたいだ」
後部座席でレナードに髪を撫でられながら、アレクは安堵の吐息をついて呟いた。
レナードが聞きとがめ、顎をくすぐってくる。
「なにが夢みたいなんだ?」
「だって、ずっとレナードと一緒にいられるんだもん。それに……」
アレクは赤面して、口ごもる。兄と弟のようだった二人の関係も、この夏、まったく違うものに変化した。
男同士でという躊躇いはあるが、その躊躇いもレナードの求めの前では、卵の殻のように脆く潰れてしまう。愛される喜びは、禁忌を遥かに上回っていた。
レナードのやさしい手が、アレクの髪や肩を撫でる。腰を撫でた時には少しゾクリとしたが、車中でそれ以上の行為は求められなかった。さすがに、運転手の目をはばかったのだろう。はばかるといっても、あからさまな行為はしないというだけのことであったが。
戯れるような口づけや抱擁を、レナードは絶えずアレクに仕掛けてくる。
愛され、求められる幸福感に酔ううちに、車はロンドンに入り、二人をレナードの住まいまで連れて行った。
気がつくと、朝出発したのが昼近くになっている。
――全然気がつかなかった……。
アレクの頬がポゥッと赤くなる。レナードのことだけでいっぱいで、時が経つのも忘れていたのが、少しだけ恥ずかしい。
レナードがかすかに微笑み、髪にキスをしてくる。
「可愛い、アレク」
囁きに、ますますアレクの身体は熱くなった。愛される幸福感で、眩暈がしそうだ。
レナードのロンドンの住居は、古風な外観をしていた。だが、車を降りて近づくと、実際は新しく建てられたものだとわかる。趣を出すために、わざと古風にしつらえてあるのだ。その建物の最上層が、レナードの住まいだった。
珍しそうに周囲を見回すアレクの肩をレナードが軽く抱き、中に案内してくれる。
「こっちがエレベーターだ」
恋人に対するようにエスコートされ、アレクは自分たちの関係が周囲にばれやしないかとハラハラした。
恐る恐る入り口の守衛を覗き見ると、守衛は微笑ましげにアレクたちを見送っている。
――恋人同士には見えないんだ……。
ホッとするべきなのに、気持ちが少し落ち込む。
エレベーターの中に入ると、壁の一部が鏡になっており、そこに映った自分たちの姿にアレクはまた肩を落とした。どう見ても、不釣合いだ。
アレクの赤い髪はパサパサであちこちに飛び跳ねているし、そばかすの散った顔もみっともない。上向いた鼻先も、いかにも子供っぽかった。度の強い眼鏡が、ただでさえ情けない容姿をもっと悲惨にしている。
一方、スーツ姿のレナードは綺麗に撫でつけた艶のあるブラウンの髪も、すっと通った鼻梁も、なにもかも完璧だ。
こんな完璧な人とアレクが恋人だなんて、誰が見たって信じないだろう。
どうしてレナードは、アレクを甘やかしてくれるのだろう。
しばらく忘れていた不安が、湧き上がってくる。兄と弟のように可愛がられていた時には感じなかった不安だ。
「どうした、アレク」
「……ぁ」
二人きりのエレベーター内で、レナードが戯れるように耳朶をくすぐってくる。愛しげに細められた菫色の瞳が、やさしかった。
「だって……」
思わず、恨みがましげに鏡に目をやった。
レナードが破顔する。
「わたしの可愛いアレク。拗ねるともっと可愛いな」
「レナード!」
抱き上げられ、キスされる。
エレベーターの停止音に、アレクは慌てた。扉の外に誰かいたら、大変なことになる。
「駄目……駄目だってば、レナード」
「大丈夫だ。このフロアは、全部わたしの住まいだ」
「え?」
そのまま新婚の花嫁のように運ばれ、アレクはレナードの住居に連れて行かれた。
室内は綺麗に片付けられ、ダイニングに行くと食事の用意までされている。レナードの指示が的確なのか、使用人の影はまったく見えないのに、食事には湯気が立っていた。
レナードは時計を見た。
「あと一時間か。悪いな、アレク。午後から仕事が入っているんだ。少し急いだほうがよさそうだ」
「仕事だもんね。わかった」
レナードの邪魔はしたくない。
アレクは聞き分けよく頷いた。
急ぐと言いながら、レナードはアレクをかまうのをやめない。
膝の上にアレクを乗せ、半ば習慣になってしまったかのように、アレクの口にスプーンやフォークを運ぶ。口に含みきれなくてソースが顎につくと、レナードの舌が舐めとる。
食事をしているのか、それとも、寝室での睦み合いの続きをしているのかわからない時間が過ぎた。
食事が終わると、今度はベッドに連れて行かれる。歴史のあるリンカシャーの屋敷と違い、レナードのロンドンの住まいは機能的な造りになっていた。
もっとも、一部屋一部屋の空間はゆったりと取られている。さっき食事をしたダイニングも、今運ばれた寝室も、リンカシャーの屋敷のそれとほとんど同等の広さを有していた。
アレクはベッドの上にやさしく下ろされた。深いグリーンを基調にしたヴィクトリア朝後期風のリンカシャーの主寝室と対照的な、モノトーンで統一したモダンな寝室だ。
レナードが帰ってくるまで、ここで休めということだろうか。
アレクは「平気だよ」と言おうとした。
だが、口にする前に押し倒され、下肢に手をかけられる。
「レ、レナード?」
食事の前に、あと一時間しかないと言っていたではないか。
時計を見ると、ゆっくり食事をしたために、残りは二十分そこそこしかない。このままでは、レナードが仕事に遅れてしまう。
どうしようと慌てたアレクに、レナードがしぃっと指を当ててきた。
「最後まではしない。ただ、食後のデザートが欲しいんだ」
「え? ……ぁっ」
剥き出しになった花芯を、いきなりレナードの口に含まれる。あやすように口の中で転がされ、アレクは背筋を引き攣らせた。熱い口腔に、性感が急激に高められていく。
「あっ……あぁっ……っ」
こらえる間もなく、恥ずかしい声が出てしまう。未熟な袋を指で揉まれながら、花芯を口腔で愛撫され、アレクの下肢が跳ね上がる。
あっという間に、アレクは白濁を放出させられた。
喉を鳴らし、レナードがそれを飲み込み音が聞こえる。
「……美味しい」
囁きに、アレクの全身が朱に染まった。レナードが擦っている内腿も、熟れた桃の色に変わっている。
口の箸についたアレクの残滓を、レナードが舐めとるのが見えた。
「……ぁ」
まるでもう一度花芯が舐められたような気がして、アレクの身体が熱くなる。
だが、それだけではなく……。
アレクは、絶頂の浮遊感の残る身体を起こした。
どうしよう。こんなことを言ったら、レナードに軽蔑されないだろうか。
不安がチラとよぎるが、それよりも強い欲望が、アレクに口を開かせる。
「ぁ……ぼく……」
「どうした、アレク」
温かな掌が、アレクの頬を撫でた。コクリ、とアレクの喉が鳴る。
「ぼくも……ほしい……」
「ん、なにが?」
囁かれ、耳朶に軽く歯を当てられた。身体の内側から、ゾクリと震えが走る。
熱に潤んだ眼差しで、アレクはレナードを見上げた。
「ぼくも……デザート……」
レナードに嫌われたらどうしよう。それなのに、止められない。
アレクはレナードのスーツの裾を握り、目をギュッと閉じて続けた。
「……ちょうだい」
「いけない子だ」
アレクの心臓がズキリと痛む。レナードが、スーツを握るアレクの手をそっと外させた。
――やっぱり……言ってはいけないことだったんだ。
涙が出そうになる。
だが、アレクの目の端に、レナードの上衣が脱ぎ捨てられるのが見えた。カチャカチャとベルトをゆるめる音が聞こえてくる。
「レナード……?」
「おいで、アレク」
手招かれ、眼鏡をそっと外される。それから、指をレナードの下肢に導かれた。
「い、いいの?」
「もちろん。嬉しいよ、アレク」
レナードに手助けされながら、大好きな人の雄に触れる。熱い質感と、髪よりも少しだけ色を濃くした下生えにドキドキしながら、アレクはベッドの上で蹲り、レナードの下肢に唇を這わせた。咥えると、レナードがため息を洩らす。
「いいぞ、アレク。上手だ。――わたしも、アレクのミルクがもっとほしいな」
「……え?」
レナードがいきなり、ベッドに仰向けに寝転がった。抵抗する間もなく、アレクは下肢を引き寄せられ、レナードの頭を跨がせる格好にさせられてしまう。
「レ、レナード、なに……あっ」
「わたしを咥えただけで気持ちよくなってしまった? 可愛いな、アレク」
いつの間にか再び昂ぶってしまっていた花芯に、レナードがキスをする。すぐに、レナードの口腔に咥えられた。
「あぁ……んっ、駄目……駄目だよぉ……あ、あぁ……んふ……ぁぁ」
レナードの口が花芯を舐めたり、口腔に咥えたりする。さらには、後ろの蕾にまで、レナードは悪戯な指で触れたりした。
アレクはレナードの性器を握ったまま、ぐったりとくずおれてしまう。
「アレク、どうしたんだ。お口がお留守だよ」
笑い交じりに囁かれ慌ててレナードの雄芯に舌を伸ばすが、花芯と後孔を同時に愛撫されているせいで、舐めるだけで精一杯になってしまう。
レナードの下肢に頬を押しつけ喘ぎながら、アレクは必死で逞しい雄芯に舌を伸ばした。
なんとか咥えようとすると、後孔に指を挿れられる。
「あ、あぁぁ……っ……っ」
後ろを指で穿たれながら、花芯を口で可愛がられ、アレクはもうなにもできなくなった。熱い雄芯を握り、唇を押し当てながら、甘い声を上げ続ける。
やがて、深々と後孔を指で貫かれ、アレクは二度目の蜜をレナードの口中に吐き出した。
「あ……あぁぁ……あぁ……っっ!」
「最高に甘いミルクだ。美味しかったよ、アレク」
脱力した身体を、レナードの上からベッドに転がされる。力の抜けた手から、まだ熱い雄芯はスルリと逃げていった。
「ぁ……レナード……」
転がったアレクの胸を、レナードが跨ぐ。そそり立つ雄芯が、目の前に見えた。
なにをされるのだろう。
レナードがアレクに微笑む。
「さあ、おまえの分のデザートだ」
「……ぁ……っ」
手荒く扱かれるレナードの雄芯から蜜が、アレクの顔に向かって放たれる。
熱い迸りに、アレクはまた身体が熱くなるのを感じた。
――どうしよう。どんどんいやらしい身体になっちゃうよぅ。
だが、理性はそこまでだった。顔にねっとりとかかった蜜をレナードが少しだけ拭い、アレクの口に含ませる。指についたレナードの蜜を舐めると、身体がジンと痺れてくる。
やさしく、アレクは頬を撫でられた。
「――時間切れだ。可愛いアレク、わたしがいない間、一人で気持ちよくなってはいけないよ。アレクのミルクは……」
「……あっ」
また硬くなりだした花芯を、レナードが軽く握ってきた。
「全部わたしのものだ。一人遊びは禁止だよ」
そう言って、レナードはベッドから下り、スーツの上衣を纏って出て行ってしまう。
――そんな……。
花芯に触れられたことに、それから、顔にかけられたレナードの蜜に、身体が熱くてたまらない。けれど、レナードの言いつけは絶対だ。
アレクは目を閉じ、顔にかけられた蜜に指を伸ばした。拭い取り、大好きな人の欲望の証を大事に舐める。そうするとよけいに身体が疼いたが、アレクはレナードの与えてくれたデザートをすべて舐め取り、火照る身体を抱きしめた。
ちゃんと我慢する。全部、レナードのものだから――。
アレクは熱い呼吸を吐き出しながら、じっとベッドに横たわり続けた。
気だるさに、アレクは目を覚ます。目覚めると、昼近くになっていた。
一瞬、自分がどうなっていたのかわからず、アレクは訝しげに眉根を寄せた。
そうだ、と少しずつ思い出していく。
昨日はレナードに昼間から可愛がられ、そのまま昂ぶった身体を我慢していたこと。夜になってもまだ熱が冷めなくて、頭がはっきりしなかったこと。それから、レナードが仕事から戻ってきて、夕食を食べさせてくれて、そして、そして……。
――いやらしいこと、いっぱい……。
喉がかれるほど喘がされ、何度も何度もレナードに抱かれたことを思い起こし、アレクは赤面する。執事や使用人が常につめているリンカシャーの屋敷と違い、ここロンドンの住まいは人がいず、ひっそりと静まり返っている。昨日の、昼食や夕食ができている様子からすると誰かがいるようだったが、その誰かは常にこの住居に共に住んでいるわけではないようだった。
そのせいだろうか。レナードの行為は、リンカシャーでのものよりずっとずっと激しい。
昨夜も、何度抱かれたのかわからない。今でもまだ、後孔にレナードが入っているような、そんな違和感を感じるくらいだ。
だが、起き上がった身体はさっぱりとしており、気を失っている間にレナードが綺麗にしてくれたのがわかる。
少し恥ずかしく思いながら、アレクは着せられたパジャマを見下ろす。開いた前から、レナードが胸につけたキスマークが見えた。
とたんに耳まで、アレクは赤くなった。頬どころか、身体の内側から羞恥の熱が込み上げてくる。
「うぅ……もぅ……」
熱い頬を両手で包み、勢いをつけてベッドから立ち上がる。
少しふらついたのが、ひどく恥ずかしかった。
レナードのところに来てから、ずっと抱かれてばかりいる。いやらしくて、いけないことなのに、トロトロになるまで愛された時間は、アレクに喜びばかり与えてくれた。
そのまま、レナードとの甘美な思い出に浸りそうになり、アレクは慌てて首を振った。いやらしいことばかり、考えてしまいそうだ。
恥ずかしくて、アレクは寝室を逃げ出す。
リビングに行くと、ふと電話が目に入り、アレクはハッと思い出した。
――そうだ、ミズキに電話……!
夏季休暇に入ってから、もうずいぶん経っている。その間に、瑞樹は何度もアレクに電話をくれたのに、アレクはひとつも応えていない。ちゃんと状況を説明し、瑞樹に電話をしなくては。
だって、友達なのだから。
レナードが帰ってくる前に、ちょっと瑞樹に電話をしよう。レナードの、ロンドンの住まいの電話も教えなくてはいけない。
アレクは、レナードの手配で自宅から送られてきた自分の荷物をかき回した。
手帳を見つけ、もう一度リビングに戻る。
「えっと……」
ページをめくり、アレクは受話器を取った。
瑞樹はどうしているだろうか。まったく電話に出ないアレクに呆れ、怒っていなければいいのだけど。
何度かコール音が鳴り、相手が取る気配がした。
『はい、グラムスコート伯爵家でございます』
落ち着いた執事の声に、アレクの顔がパッと明るくなった。
「あ! もしもし、ぼくアレクサンダー・ステイプルトンといいます。ミズキは……」
しかし、勢い込んで話し出した回線が、いきなり切れた。
「もしもし。もしもし?」
どういうことだろうか。
アレクは驚き、何度も受話器に呼びかけた。
「どうして……?」
首を捻る。もう一度かけ直そう。
アレクは受話器を耳から外し、番号を押そうとした。
その耳に、含み笑う声が聞こえた。
「――いけない子だ」
「え……?」
思いがけなく聞こえてきたレナードの声に、アレクは振り返った。仕事に行っているのではなかったのか。
アレクの目が大きく見開かれる。
レナードの手には、引き抜かれた電話線が握られていた。
「レナード……なに、やってるの……」
電話線を放り投げ、レナードが近づいてくる。
硬直しているアレクの頬を、レナードがやさしく、殊更やさしく撫でた。口元には、いつもアレクに向けている愛しげな微笑が浮かんでいる。見つめてくる眼差しも、アレクを可愛がる菫色の甘い眼差しだった。
「昼食を一緒に食べようと帰ってきたが、正解だったな。わたしがいない隙に電話をかけようとするなんて、いけない子だ」
深みを帯びた穏やかな声。
それなのに、アレクはひどく恐ろしかった。息が苦しい。
今目の前にいるのは、本当にレナードなのだろうか。
「レナード……なにを、言っているの……?」
なぜ、瑞樹のところにかけるのがいけないのかわからない。本当にわからない。
受話器を手に強張ったまま、アレクはどこか人が違ったようなレナードを見つめていた。
続く…
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