――どうしよう。大変なことをしてしまった……!
ぼうっとしたまま屋敷に戻ったアレクの頭が、時間が経つにつれて、起こってしまったことの意味に怯え始める。
狼狽を抑えきれないまま、アレクは部屋に閉じこもり、食事も摂れずに膝を抱えて縮こまっていた。
――二人だけの秘密だよ、アレク。
レナードの囁きが、耳朶に触れた吐息ごと、何度も蘇る。
アレクは、レナードの手淫に精を放ってしまっていた。子供の頃からいつもアレクを慰め、撫でてくれた手がアレクに触れ、そして……。
「駄目っ! 絶対に駄目だ!」
思い出しそうになった身体の昂りを、アレクは必死で忘れようとした。
あんなことは、いけないことだ。男同士で、あんないやらしいことをするなんて、絶対に許されない。
「でも……」
レナードは、明日もあそこに来るように言った。
そしてアレクは、うんと頷いた。
明日あの場所に行ったら、どうなるのだろう。またレナードに、あんなふうに触れられるのだろうか。
「そんな……駄目だよ……」
震えながらアレクは呟き、強く頭を振った。下半身だけ裸に剥かれた自分、いやらしい声を出してしまった自分を、アレクは必死に消そうとする。
絶対にやってはいけないことだ。これが家人にばれたら、どれほど怒られるかわからない。もしかしたら、レナードから引き離されてしまうかもしれない。
――いやだ。
レナードにされたことも恐ろしいが、引き離されるのはもっと怖い。
明日はずっと家にいて、あの隠れ場所には行かない。
アレクは自分にそう言い聞かせた。
しかし、翌日、アレクの足はまた、昨日の隠れ場所に向かっていた。
行ってはいけない。わかっているのに――。
心の中で何度も、「行っては駄目だ」と声が聞こえる。それなのに、身体は声に逆らい、アレクをあの場所に連れて行く。
――昨日のあれはたまたまだ。今日はあんなことはしない。
たまたま、アレクの身体が変なことになったから、だからレナードが楽にしてくれただけだ。きっとそうだ。
何度も呪文のように自分に言い聞かせる。
林の中は、緑の葉越しに柔らかな木漏れ日が差し込み、可愛らしい鳥の声が響いていた。
清浄な空気を胸いっぱいに吸い込み、アレクは泉を見下ろす石の台へと向かった。
その目が大きく見開かれる。
「……いない」
石の舞台には、誰もいなかった。
アレクの胸に安堵と、同時に失望がよぎる。
――失望だなんて、ぼくはなにを……。
自分自身の感情に戸惑いながら、アレクは石の上に座った。足をぶらつかせ、ラングストン伯爵邸のある方角をじっと見つめた。
レナードがいなくてホッとしているのに、どうして寂しく感じてしまうのだろう。昨日のようなことを自分は、半ば怖れ、半ば期待しているのだろうか。そんな馬鹿な。
胸を押さえるアレクの耳にまた、昨日と同じ馬のいななきが聞こえてきた。
アレクの胸がドキリと波打った。
レナードだ。やっぱりレナードは来たのだ。
――どうしよう。
近づく人影に、アレクはおどおどと俯いた。
――どうしよう。やっぱり帰ろうか。
迷ううちに、レナードがアレクの座る石のすぐ下までやってきて、俯くアレクの手に触れる。ビクリとアレクの身体が震え、思わずレナードを見つめると、レナードは石の台に身軽に飛び乗り、隣に座った。
「よかった。来てくれて……」
「……ぁ」
そっと抱きしめられる。息が苦しくなるほど、アレクの心臓が激しく鳴った。
「昨日のせいで嫌われたらどうしようと、一晩中眠れなかった。来てくれて、ありがとう」
「レナード……ぁ」
顎をとられ、キスをされる。しっとりと唇を啄まれ、アレクはもうどうしたらよいのかわからなかった。
唇を舌が舐め、わずかに開いた隙間から口中に忍び込んでくる。こんなキスは初めてで、アレクは怯えて身体を震わせた。
しかし、搦めとられた舌を試すように吸われると、クタリと全身から力が抜けてしまう。
口づけに身体が熱くなるとまた、昨日のように下肢をまさぐられた。抱きしめられた腕の中で下肢を晒され、アレクは身を硬くする。
「だ、駄目……レナード……あっ」
「気持ちよくするだけだ、アレク。いい子だから力を抜いて、わたしの手に出してしまいなさい。このままでは苦しいだろう?」
「やっ……駄目っ……っ!」
敏感な花芯を扱かれ、アレクは苦もなく達してしまう。
「なんで……こんなこと……。怒られちゃう……」
アレクは啜り泣いた。他人の手に触れられてこんなふうになってしまう自分は、どこかおかしいのではないか。しかも、大好きなレナードの手に触れられて、いやらしい反応をしてしまうなんて。
家族にばれたら、どんな目に遭うかわからない。レナードにだってもう会えなくなってしまうかもしれない。
泣きじゃくるアレクに、レナードの眉宇が曇った。頬に口づけてアレクの涙を吸いとり、そっと頬に頬を押し当ててくる。
「こんなことをするわたしは嫌か、アレク」
悲しそうな声に、アレクは慌てて顔を上げた。
「嫌いだなんて、そんな……!」
むしろ、大好きだから、いやらしい自分が恥ずかしいし、怖いのだ。
唇を震わせるアレクに、レナードが囁きかける。
「それなら、わたしが好きか?」
熱がこもったような菫色の瞳が、アレクをじっと見つめ、捕らえている。
まるでなにかの魔法にかけられたように、アレクはレナードから目を離すことができなかった。
アレクの口が、操られるように開く。頭がぼんやりとして、なにも考えられなかった。
「――好き」
「では、もう少しアレクに触ってもいいか?」
囁きながら、レナードがアレクのシャツのボタンを外していた。
――なにをされるのだろう。
そう思う声が、どこか遠くに消えていく。
「――うん」
アレクが頷くと同時に、胸元にレナードの掌が入り込んだ。サワサワと胸をまさぐりながら、もう片方の手がアレクの下肢をもてあそんでいる。
シャツが肩から滑り落ち、木々の合間から降り注ぐ陽光をまだらに浴びながら、アレクはレナードの手淫に小さく声を喘がせた。
次の日も、また次の日も、光に誘われる蛾のように、アレクはレナードとの約束の場所に足を運んでいた。
そのたびにレナードは、まるで恋人のような深いキスをアレクに与え、さらに、昂ぶった身体の熱を散らすために、未熟な身体をまさぐってくる。
「可愛い……アレク」
喘がされ、達したアレクに、レナードが何度も口づけてくる。
下肢を汚した格好のままで、アレクはポロポロと涙を零した。恥ずかしくて、それなのに、レナードの手に感じてしまう自分は、頭がどうかしてしまったとしか思えない。
レナードがまた、どうしてアレクとこんなことをするのか、アレクにはまったくわからない。
それなのに、着ているものをはだけられ、快楽を味わわされてしまう自分が情けなくて、恥ずかしくて、アレクは啜り泣くしかなかった。
「アレク、どうしたんだ? いやだったか、気持ち悪かったか。――それとも、こんなことをするわたしを嫌いになったか」
嫌い、という声がひどく低い。
アレクは顔を上げ、背中から自分を抱きしめるレナードを見上げた。
「嫌いだなんて……そうじゃなくて……」
アレクがレナードを嫌いになるはずがない。
でも、こんないやらしいことを毎日していたら、いつか家族にばれてしまいそうで、それが怖かった。いやらしい自分のことも、いつかレナードは呆れて、嫌いになってしまわないだろうか。
瑞樹の母親のことを、アレクは以前せせら笑ったことがあったが、今のアレクは彼女と変わらなかった。いけないことだとわかっているのに毎日レナードの下に通い、いやらしいことをされて悦んでいる。自分はいやらしくて、醜い。だから、泣くしかなかった。
啜り泣くアレクに、レナードが少し苦しげに表情を歪めた。
「アレクが嫌いなら、もうしない。でもそうしたら、しばらくアレクには会えないな」
「え……?」
意外な言葉に、アレクの目が見開かれる。眼鏡を外したアレクの目は、綺麗な若葉の色をしていて、子供っぽい哀れさを誘っていた。
レナードはその目に、切なげに笑った。
「触ってはいけないというのなら、しばらくアレクには会えない。会えば、触れたくなるからね。こうして触れて、可愛い声を聞きたくなる。どうしても我慢が利かないから、アレクが駄目だと言うのなら、会わずにいるしかない」
「そんな……!」
アレクは唇を喘がせた。
レナードに会えずにいたら、屋敷での暮らしなど耐えられない。毎日、兄から罵られ、使用人からは侮蔑の眼差しを注がれ、週末ごとに帰ってくる両親から疎んじられて、レナードがいなくてはとても耐えられなかった。
特に、瑞樹たちとの明るい日々を知ってしまった以上、冷ややかな侯爵家での暮らしはひどく辛く、耐え難かった。
アレクは身を捩り、レナードのシャツに縋りついた。レナードがいなかったら――。
涙に濡れた目元に、レナードが口づけた。
「会うのをやめようか、アレク。こんなこと、いやだろう?」
「ううん」
とっさに、アレクは首を振った。イヤだと言ったら、レナードと会えなくなってしまう。
そんなのはイヤだった。絶対駄目だった。
レナードが綺麗に微笑んだ。
「それなら、もう少しアレクに触っても……いいか?」
「……いいよ。触って、レナード」
アレクを好きだと言ってくれるのは、レナードだけ。レナードがいなかったら、アレクは生きていけない。
触れられた下肢に、甘い痺れが走る。
――恥ずかしい……。
そう思いながら、しかし、レナードと離れたくないアレクは、レナードの背に縋りつき、大好きな従兄弟のために身体から力を抜いた。
日が西に傾く頃、アレクはふらつく足取りで、林から出た。
いいよと言って以降、レナードは何度もアレクの花芯に触れ、精を搾り取るようにまさぐってきた。性器だけではない、胸にも、首筋にも、レナードの唇が触れ、アレクの肌を吸い上げていった。
別れる寸前までずっと触れられていた肌が、熱い。全身が、過敏なままになっていた。
「明日も待っているよ、アレク」
最後の囁きに、アレクはコクリと頷いた。
明日もその先も、毎日毎日こんなことをしていたら、どうなってしまうのだろう。
けれど、その怯えよりも、レナードを失うかもしれないことのほうが重要だった。
レナードだけは絶対になくしたくない。
物心つく頃からずっと、レナードだけがアレクに笑いかけ、可愛がってくれる人だった。
その人をなくしたら、きっと耐えられない。
だから、レナードのどんな望みでも、アレクは拒んだりできなかった。
アレクはしょんぼりと屋敷への道を歩いた。
週末までは、次兄と二人きりだ。憂鬱な夕食を思い、アレクはため息をついた。
屋敷に着くと、執事を探す。
「ぼく宛てに電話はかからなかった?」
訊ねるが、執事は慇懃に「ございません」と答える。
夏季休暇が始まって10日余り、まだ瑞樹からの電話はなかった。電話するねと言っていたのに、どうしたのだろう。
それとも、自分から電話をするべきだろうか。
けれど、電話をして、もしも瑞樹に冷たく当たられたらどうしよう。
屋敷での凍えた日々は、アレクの心まで凍えさせていた。
「よくも毎日、平気で遊び歩いていられるな、アレク」
夕食の席では、兄に責められる。
「まあ、おまえごときが大学に行く必要などないが、最低限恥ずかしくない程度の成績を修める努力をしたらどうなんだ。今のままではグレンフィールドを出た後も、父様だっておまえのために仕事を見つけてやれないぞ。あまりに馬鹿すぎては、紹介した父様が恥をかく」
「……ごめんなさい」
ポソポソと食事を口に運ぶが、まったく味がしない。ぱさついたように感じられる料理をアレクはなんとか口にし、呑み込んだ。
食事が終わると、逃げるように自室へ駆け込もうとする。
その背に、執事が声をかけてきた。
「アレクサンダー様、野外でお遊びになるのもけっこうですが、もう少し大人らしくお遊びいただけませんか。毎日毎日服に泥をつけて帰られては、家政婦も困ります」
子供ではあるまいに、とこれみよがしにため息をつかれる。
アレクの頬がカッと赤くなった。泥がつくのは、林や小川で遊んだせいではない。レナードと屋外であんなことをしているせいだ、とすぐに思い当たる。
しかし、それを執事に知られてはいけない。
「ご、ごめん。気をつけるから……」
モゴモゴと謝り、アレクは執事の前から逃げ出した。
――ああ、どうしよう。きっといつかみんなにばれてしまう。
でも、イヤだと言ったら、レナードとは会えなくなる。会えないのはいやだった。
思い悩んだまま、アレクは着替えも忘れ、ベッドに丸く潜り込んだ。
どうして瑞樹は電話をしてくれないのだろう。どうして時間は、もっと早く過ぎてくれないのだろう。
めそめそと泣きながら、アレクは寝入ってしまう。
気がつくと、朝の日差しが部屋に差し込んでいた。
皺だらけの服のまま、階下に下りていくと、執事が、まるで父侯爵のように眉をひそめてアレクに視線を向けていた。服を着たまま眠ってしまったことに対する無言の非難だ。
しばらくすると、家政婦が怒りながらやってくる。
「アレクサンダー様! シーツにも土がついておりますよっ! いい加減にしてくださいませ!」
「ご、ごめんなさい……っ」
そういえば、昨日、毎日服に泥をつけてくるなと執事に苦情を言われたばかりだった。それなのに、汚れた服のままベッドに入って、眠ってしまうなんて、自分はなんて馬鹿なんだろう。
アレクは慌てて謝った。プリプリと洗濯室へ去っていく家政婦の脇で、執事が大きくため息をついている。
たまらず、アレクは屋敷を飛び出した。
居場所なんてない。どこにもない。
息を喘がせ全力で疾走し、いつもの林に逃げ込む。ここに来たら、いずれレナードが現れるとわかっていても、ここにしかアレクが逃げ込める場所はなかった。
慰めてくれる人も、レナードしかいない。
石の上で膝を抱え、眼鏡を外して、アレクはスンスンと啜り泣いた。
やがてその耳に、草を踏み分ける足音が聞こえてくる。レナードがやってくる時間になっていた。
アレクは顔を上げた。
「レナード……」
泣きじゃくっていた自分は、さぞやひどい顔をしているだろう。
それなのにレナードは、泣いているアレクの傍に駆け寄ると、やさしく胸に抱きしめてくれる。いつもこうして、アレクを甘やかしてくれた。
「どうした? またなにか言われたのか」
泣き濡れて汚くなった頬に、レナードがそっとキスをしながら、訊いてくる。
聞いてほしい話はたくさんあった。
また自分が馬鹿な振る舞いをしてしまったこと。
次兄から頭が悪いと笑われたこと。
それから、瑞樹から電話が来ないこと――。
アレクはしゃくりあげながら、レナードを見上げた。
「レナードは……ぼくを見捨てないよね? ぼくを嫌いにならないよね?」
胸に縋りつき、アレクは小さな声で訴えた。
レナードは愛しむようにアレクの頬を撫で、微笑む。
「嫌いになるわけがないだろう? アレクはわたしの、大事な大事な可愛い子だ」
「本当?」
「決まっている。おまえは、わたしのために生まれてきたんだよ」
やさしい囁きに、アレクは真っ赤になった洟を啜って、また訊いた。
「ぼくは、レナードのために生まれてきたの?」
「そうだ。おまえは、わたしのためにこの世に生まれてきたんだ。おまえのすべてはわたしのものだと、生まれた時から決まっていたんだよ、アレク」
レナードの指がひとつひとつ、アレクのシャツのボタンを外していく。
あることに気づいて、アレクは身を捩ろうとした。昨日からずっと、アレクは同じ服だ。
しかし、身を捩るアレクをレナードが強く抱きしめる。
「逃げるな、アレク」
「でも……そうじゃなくて……ぼく、シャワーを浴びていない」
小さく抵抗するアレクの首筋に、レナードが鼻を押し当ててきた。楽しげに笑う声が聞こえてくる。
「そうだな。昨日よりずっと、アレクの匂いがする。いい匂いだ」
「やだ、駄目だよ……」
いい匂いのわけがない。アレクは必死でレナードから逃れようとした。
その動きがビクリと止まる。暴れた手が、レナードの昂りに触れてしまっていた。
「レ、レナード……」
見開いた目に、レナードの切なげな眼差しが見える。
「あ……ぼく……」
「わたしが恐ろしいか、アレク」
問いつめる声の熱っぽさに、アレクの呼吸が荒くなった。熱いレナードの身体と同じくらい、アレクの熱も急激に上昇していく。
「レナード、も……ぼく、のこと……」
「おまえはわたしのために生まれてきたと、そう言っただろう? おまえが大人になるのを、わたしはずっと待っていたんだ。わたしの愛しいアレク。可愛いアレク」
眼差しに縫いとめられたように、アレクは身動きできなくなる。
いつの間にかシャツを脱がされ、それをレナードが丸めるのを、アレクは逃げることもできず見つめていた。
枕のように、丸めたシャツを後頭部に当てられる。
そのまま、アレクは石の舞台の上に横たえられた。
「――全部、わたしのものだ、アレク」
ぼくは、生まれた時からレナードのもの……。
熱い囁きに、アレクは魅入られたように目蓋を閉じた。ズボンにレナードの手がかかり、やがて、脱がされる。
全裸で横たわり、レナードが着衣を脱ぎ捨てる衣擦れの音を、アレクは目を瞑ったままじっと聞いていた。
これは、生まれた時からの運命だった。
続く…
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