「……ごちそうさまでした」
口の中でモソモソと言い、アレクは足早に朝食の席を立とうとした。厳しい顔をした父親と一緒の空間に、長居したくない。
次兄も同じ気持ちなのだろう。アレクとともに、早々に立ち上がった。母はベッドで朝食を摂る習慣のため、ここにはいない。
しかし、そそくさと逃げ出そうとしたアレクは、父に呼び止められる。
「アレク、話がある。後で書斎に来なさい」
「……はい、お父様」
昨日は顔も見たくないと無視されたが、やはり学校の成績のことで叱られるのだろうか。
憂鬱なため息を押し殺し、アレクは悄然と室内を後にした。
廊下に出ると、クリストファーが小馬鹿にしたように、鼻を鳴らす。
「本当におまえは我が家の恥だな。よくも平気で、家族の前に顔が出せたものだ」
「……ごめんなさい」
アレクは口答えせず、謝る。できることならアレクだって、この家に帰ってきたくはなかった。グレンフィールドにいられるのなら、ずっと寮館(ハウス)にいたい。
けれど、休暇期間中は帰宅しなくてはならず、そのことで文句を言われても、アレクにはどうしようもないことだった。それでも罵られれば、ごめんなさいと返すしかない。
兄の嫌味が終わるのを、アレクはじっと床を見つめて待つしかなかった。
弟の肩を小突き、クリストファーが自室へと階段を上がっていく。兄が階上に消えるまで、アレクは俯いたまま、身を硬くしていた。
クリストファーの気配が消えると、ホッと身体の力を抜く。
それからノロノロと、自室へ戻った。まだ夏季休暇は始まったばかりだ。
ベッドの陰で膝を抱え、アレクは父の下へ向かう頃合いを見計らった。遅すぎても、早すぎても、父の機嫌を損なってしまう。
怒られるのも、呆れられるのも、慣れていた。幼い頃から、アレクは両親の期待にまったく沿えたことのない子供だった。じっと俯いて、頭を空っぽにしていれば、嵐は過ぎ去ってくれる。それだけが、アレクの唯一の対抗手段だった。
頃合いを推し量りながら三〇分ばかり待ってから、アレクは階下の父の書斎に向かった。
そっと、書斎の扉をノックする。
しかし、応えは返らず、アレクはもう一度ノックした。
「――入れ」
温かみのない父の声はひどく事務的で、アレクは身を竦ませながら、扉を開けた。
「さっさと入れ。それから、ノックはもっとはっきりするんだ。何度も言っているだろう」
「は、はい。ごめんなさい、お父様」
アレクは父の座っている机の前に、オドオドと立ち尽くす。父の冷たい眼差しに、身が竦む思いがした。
父は指先でコツコツと机を叩いていた。アレクに気まずい思いを十分にさせてから、口を開く。
「――子供の頃から、いつもわたしを失望させてきたな、アレク。そのたびに、わたしはおまえを厳しく叱ってきたが、おまえはまだきちんとわかっていないようだ」
アレクは唇を引き結び、肩を丸めて、父からの叱責に耐えようとした。
――こんなことは慣れている。怒られるのはいつものことだ。
慣れっこだから、平気だ。
だが、父の叱責は成績や寮館での役職のことではなかった。
父はこれみよがしなため息を吐き出し、再び口を開いた。
「いくら言ってもろくな成績もとれず、監督生にもなれないうえに、友人の選択までまともにできないとはな」
「……え?」
呆れと苛立ちの交じった様子の父を、アレクは恐る恐る見上げた。父は苦虫を噛み潰したような顔をして、アレクを睨(ね)めつけている。
「ゆ、友人のせ、選択って、どういうことですか、お父様」
勇気を振り絞り、アレクは父親に問いかけた。友人といえば瑞樹のことだが、それのどこがまともでないと言うのだろう。
父は不機嫌に眉をひそめ、グレンフィールドからセント・オールズリー侯爵家に当てられた、夏学期(サマー・ターム)の報告書を突きつけた。
「グラムスコート伯爵家のアーサー・ミズキと親しくしているそうだが?」
「は、はい。寮館で同室で、それで……」
言いかけた言葉が、中途で途切れる。父親が強い調子で机を叩いたからだ。
「ふしだらな女の息子と、なぜ親しくする! 兄のエドワードやアルフレッドならばともかく、アーサー・ミズキなどと友人になるとは、まったく。寮館の部屋が同室になることに口を挟むのはやめておいたが、まさかおまえが自分の立場も弁えず、まともな伯爵家の人間とはいえない者と親しくなるとはな。失望したよ、アレクサンダー。いくら愚かな息子でも、友人の選択くらいはまともにできると思っていたのだがな」
「で、でも、お父様、ミズキはお父様が思っているような子ではありません。すごくいい子で、ぼくにも、やさしくしてくれて……」
アレクが懸命に瑞樹を弁護しようとすると、父親の片眉が不愉快げに上がった。
「やさしく? なにを甘いことを言っているんだ。おまえに必要なのは、やさしくしてくれるなどという甘ったれた友人関係ではない。おまえにプラスになる、質のいい友人だ。来学期からは個室になるのだから、ちょうどいい。アーサー・ミズキとは二度と付き合わないようにするんだ、いいな」
「で、でも……」
「なんだ」
父親の灰緑色の目が、冷たくアレクを見据える。
アレクはビクリと身体を震わせ、それ以上、反駁することができなかった。
瑞樹はけして父親が言うような奴ではない。確かにひと頃社交界を騒がせたふしだらな女性、香子の息子ではあるが、瑞樹自身に香子を思わせる部分は欠片もなかった。
それに、最初の頃、あんなに意地悪をした自分にもずっと思いやりを忘れないで接してくれた、本当にいい奴なのだ。
しかし、不機嫌な父にアレクは言葉が繋げず、スゴスゴと書斎を後にするしかなかった。
――電話するから、きっと家にも遊びに来てね。
せっかくそう言ってもらったのに、これではきっと父の許しなどでない。アレクの、初めてできた友人なのに……。
書斎の扉を閉めると同時に、アレクは涙が落ちそうになった。
その目に、ちょうど出かけようとするクリストファーの姿が映った。美しい母が、やさしく次兄に微笑みかけている。
「今度お友達を連れていらっしゃい」
「ここより、ロンドンの屋敷がいいな。アレクの奴がいたらとんだ恥をかきかねないよ」
肩を竦めるクリストファーに、母が同意して頷いている。
「そうね。あの子ときたら、お客様がいるといつもよりもっとひどい振る舞いになるのだから。本当にしようがない子だわ」
次兄と一緒になってアレクを貶すと、母はクリストファーを外に送り出し、玄関から立ち去った。
アレクはそれを、拳を握り締めたまま、じっと見つめていた。アレクには瑞樹と付き合うなと言い、クリストファーには友人を家に連れてこいと誘う。どちらも自分たちの息子の友人であるのに、アレクの友人のよさを両親は少しもわかってはくれない。
一粒零れ落ちた涙を、アレクは拳で乱暴に拭った。身を翻し、庭園へと続く、床まで届く大きな窓のある部屋に駆け込み、屋敷の外に逃げ出した。
屋敷が小さくなるほどのところまで息を切らして駆け、自分だけの隠れ場所である鬱蒼とした林に潜り込む。そこは、森というにはいささか規模が小さく、けれど、林というには木々が濃密に過ぎた場所だった。
小さなせせらぎが、林の中を通り抜けており、中ほどに大きな平たい石が突き出た、ちょっとした泉のようになっている場所がある。そこが、アレクの秘密の隠れ家だった。
冷たい石の上に、アレクは倒れ込んだ。
怒られるのは慣れている。
呆れられるのも慣れている。
自分がやりたいことを、駄目だと否定されることにも慣れていた。
しかし今日は、むしょうに辛くて、悔しかった。
瑞樹は、初めての友人なのだ。プレップスクールの頃からいつも苛められ、独りぼっちだったアレクに、初めてできた友達だったのだ。友達ができたのだと報告したら、きっと褒めてもらえると期待していた自分が馬鹿みたいだ。
アレクは洟水を啜り上げた。友達ができてよかったなと、父も母も言ってくれると思っていたのに……。
それなのに、ふしだらな女の息子とは付き合うなだなんてひどすぎる。アレクの弁護すら聞いてくれないなんてあんまりだ。
「……ぼくなんて、産まなきゃよかったのに」
眼鏡を外し、スンスンと鼻を鳴らして泣きながら、アレクは家族を呪った。
不出来な息子がそんなに気に入らないのなら、最初からアレクを産まなければよかったのだ。優秀な息子しか欲しくなかったのなら、いっそ子供の頃に殺してくれればよかったのだ。
ふと、アレクの顔が上がった。
しばらく泣いていた耳に、動物の鳴き声が聞こえてきた。馬だ。
アレクは期待を込めて、身を起こした。涙で濡れた睫毛を瞬きする。
やがて、小川の向こうに人影が見えてきた。
「――やっぱりここだったんだな。なかなか家に来ないから、きっとここで泣いていると思ったんだ」
片手に乗馬用の鞭を持ったレナードだった。
散々泣いていたくせに、レナードの姿を見たらまた、アレクは涙腺が弛むのを感じた。
「レナード……」
ポロポロと涙が零れ落ちる。
レナードは小川を渡れるように適度な間隔で置かれた石を渡り、アレクの元にやってきた。
アレクの乗った石の上に身軽に登り、涙に濡れた頬に、やさしく指で触れる。
「どうした、アレク。そんなに泣いたら、綺麗な目が溶けてしまうよ」
からかい交じりに言われ、アレクは嗚咽を洩らしながら、大好きな従兄弟に抱きついた。アレクのどこも綺麗な部分などないのに、レナードはいつもアレクを褒め、甘やかしてくれる。
「お、お父様が、ミズキと付き合うなって……ひっく……ひっく……は、初めてできた友達だったのに……ひっく」
しゃくりあげながら、アレクはレナードに訴える。この世で唯一、レナードだけがアレクの気持ちをわかってくれる。
レナードは、泣きじゃくるアレクをなだめるように胸の中に抱きしめ、背中をそっと撫でてくれる。
「どうしてそんなことを」
呟くレナードに、アレクは泣きながら話した。
「ふ、ふしだらな女の息子だから、ぼ、ぼくに相応しくないって……でも、相応しいって、なに? だ、誰もぼくと友達になんてなってくれないのに……ひぃっく、ふ……」
胸に縋りつくアレクを、レナードはそっと抱きしめてくれる。
それから、泣き濡れた顔を上げさせた。
「きっと、伯父様はアレクのことを心配しているんだよ。アレクには今まで友達がいなかったから、悪い奴に騙されて、友達だと利用されやしないか、それを心配しているんだ」
「でも、でも、ミズキはいい奴だよ。とってもいい奴なんだ」
初めてできた友達を、レナードにまで誤解されてはたまらない。
アレクは一生懸命、瑞樹を庇った。
レナードはちゃんと頷いてくれる。
「わかっているよ、アレク。だが、伯父様はミズキくんのことを直接には知らないだろう? だから、誤解してしまうんだよ。機会を見て、ゆっくりと誤解を解いていくといい。ほら、本当に泣きやまないと、エメラルドのような目が溶けてしまうよ」
チュッ、チュッと両方の目元に、レナードが唇を押し当てる。
「……ぁ」
子供の頃と同じようなキスなのに、アレクはドギマギした。この頃、レナードにキスされると、こんな気持ちになることが多い。恥ずかしいような、嬉しいような、妙な気分だった。
困って、アレクが俯くと、レナードの指がアレクの顎を上向かせる。
「え……?」
疑問を声に出す間もなく、レナードの唇が、アレクの唇に落とされた。
「……ん」
しっとりと唇を吸われるのに、胸がドキドキする。
レナードは何度も、触れて吸うだけの軽い口づけをアレクに与えた。子供をなだめるような、やさしいキスだった。
レナードはアレクの涙を止めようとして、キスしたのだろう。
しかし、涙は止まったが、代わりに、意図しない熱さが、アレクの身体の奥深くから沸き起こっていた。
――どうしよう。なんか、ぼく……。
身体の内側がゾワゾワして、アレクはいたたまれず、身じろいだ。
ようやく唇が離れると、なんだか顔が上げられなくて、俯いてしまう。
「子供の頃と同じだな。こうしてキスしてやると、アレクはちゃんと泣きやむ。いい子だ」
「……もう子供じゃないよ」
奇妙な浮遊感に、アレクは戸惑っていた。腰がゾクゾクして、身体の感覚が浮き上がったようになっている。
変なの、と思いながら、アレクはレナードに抱きしめられるがまま、胸にもたれかかっていた。
レナードの手が、やさしくアレクの肩を撫でている。その手が腕を撫で下り、腰を撫でると、身体の内側の妙な浮遊感がもっとひどくなるのをアレクは感じた。
気がつくと、もう片方のレナードの手が、アレクの太腿を撫でている。撫でていた手が、ゆっくりと這い上がってきた。
「――……あっ」
「本当だ。もう子供じゃない」
レナードが含み笑う声が、耳朶に触れる。
「レ、レナード……ッ」
太腿を這い上がった掌が、アレクの一番の弱みに押し当てられていた。そうされて初めて、そこが硬くなっていることにアレクは気づく。
――どうして、なんで……?!
狼狽するアレクの腰を、レナードはしっかりと抱いて離さない。
下肢に触れていた手が離れ、アレクのズボンの前を器用に開き始めた。
「レ、レナード、なに……? やめ、やめて……っ」
「しぃー。大丈夫だよ、アレク。楽にしてあげるだけだからな」
抱かれていた腰を軽く上げられる。そうして呆然としているアレクの下肢から、レナードは下着ごとズボンをひき下ろした。
緑の濃い林とはいえ、うっすらと木漏れ日が差し込んでいる。柔らかな日差しの中で、アレクは下肢だけむき出しにされ、驚いて抵抗しようとした。
しかし、太腿の途中で衣服が絡み、うまく逃げられない。それに、少し強張りだした性器をレナードに握られると、アレクの下肢から力が抜け落ちた。
「や、やだ……」
「こんなにしていたら苦しいだろう? 大丈夫。すぐに楽になるからな」
ソロリ、と感触を確かめるように、レナードの指が花芯を上下し始める。
アレクの背筋がヒクリとたわみ、性器は見る見るうちに昂りだした。
「や……やだ……ぁっ、レナード……やっ」
どうしてレナードはこんなことをしてくるのだろうか。
わけがわからないまま、アレクは小さく声を上げ続けた。どんどん性感を高められる。
やがてブルリと震え、レナードの手の中に蜜を吐き出した。
「あ……っ……! ……はぁ、はぁ、はぁ」
荒い呼吸交じりに、小鳥の鳴き声が聞こえる。恥ずかしさに、アレクは全身を朱に染めていた。
身動きもできないでいるアレクの下肢を、レナードが手際よく綺麗にしてくれる。そして、身じまいをさせてから、目元にまたキスをしてくれた。
「気持ちがよかったか、アレク」
囁きに、アレクは呆然とレナードを見つめた。
レナードは今まで見たことがないくらいやさしく、アレクに微笑んでくれている。
掌が頬を包み、親指がそっとアレクの唇を辿った。頭がぼんやりとする。
――レナードが……望むなら……。
アレクはレナードを見つめたまま、目を閉じた。
落とされたキスに柔らかく唇を吸われる。
唇が離れると抱きしめられ、レナードの深い囁きがアレクの耳朶に吹き込まれた。
「気持ちがよかったか、アレク」
アレクはなにかに操られるように、コクリと頷いた。
レナードが、いい子だと髪を撫でてくれる。
「二人だけの秘密だ」
「……うん」
もう一度顎をとられ、キスされる。唇を触れ合わせたまま、レナードが囁いた。
「明日、またここに来れるね?」
間近の綺麗な菫色の瞳を、アレクはじっと見つめた。瞳の奥に、仄暗い熱が見える。
「……うん。来る」
レナードにならどんなことをされてもかまわない。
抱きしめられたまま、アレクは何度も頷いていた。
続く…
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